酒のフヨーの現在に至るまで

時系列で今に至るまでをたどって参ります。
途中当店の店名が「なぜフヨーなのか?」も触れていきたいと思います。
どうぞお付合い下さい。

もともと酒屋で勤めていました。

昭和30年代後半~昭和40年代前半に東京都新宿区(歌舞伎町の近くと聞いています)の酒販店にて両親とも勤務していました。ある意味それが現在に通じる訳ですが、すぐに今に到達しなかった経緯があります。

今度は犬ですか?

昭和45年だったと思います。場所は広島に移り、縁があって今で言う人気の犬の繁殖させる事業に職を移した父親。ペットブームの現在では当然ありの仕事でしょうが、当時はうまくいかず撤収する羽目に。

店名の由来は、ここから!

犬の事業から撤退後、商売を始めるに当って運命的な出会いがありました。
時代は昭和40年代後半です。当時は今のように家電量販店や雑貨などを同じ場所で買える様なお店ってなかったんですね。

それを移動販売という形で、各地の公民館や公会堂などに当時主流だったラジカセや洗剤など、今で言えばそれこそスーパーで扱っているような(生鮮食品を除く)アイテムを扱っていました。

そこの運営会社が「フヨー」という会社だったのです。

このときの拠点は広島から福岡へ移動していました。
後に現在の酒屋の所在地となる福岡県春日市にひとまず引っ越したことは、なんらかの運命も感じます。

昭和50年代前半まで、その商売を両親ともしておりました。
その間、若女将は幼稚園入園前~小学校低学年ぐらい。

移動販売(会場を移りながらの)という形態でしたので、両親は家を空けることがほとんど。

よって若女将は当時親戚の家に預けられたりして、両親と過ごすことが中々忙しく難しかったために、実は幼いながらに寂しい気持ちはいまでも忘れることは出来ません。

両親の後姿は大きかった!

ちょっと話がそれるかもしれませんが、聞いてもらいたいこと。

当時なかなか両親に会えなかった若女将は、両親がお世話になっていた広告代理店さんが両親の元に仕事の打ち合わせで行くと聞けば、無理やり代理店さんへお願いをし、同乗させてもらい両親に会いに行ったという経緯がありました。

勿論このときの気持ち(「早く両親に会いたい!寂しいよー」という)も如実に今も記憶に残っています。

だからこそ、その時の一生懸命に働いている両親の姿を若女将は押さないながらも焼き付けていますので、今こうして難なく生活できるのは、もしくは今酒屋として営業できているのは両親あってのことと痛切に感じています。

若女将自身も子供を持ったから分かったことかもしれません。
でも今は両親に感謝に尽きます。

いよいよ開業!

昭和59年10月に春日市千歳町にて酒のフヨーをオープンしました。
実は前出の移動販売形態の商売は、父親が体調を壊したことによりやめることになりました。

その後、かつて広島から福岡に引っ越した同じ春日市で開業するというのはある意味運命を感じています。
(福岡に当初引っ越してきた後、粕屋郡志免町で過ごしていたのが大半だったので。)